2021年、「フェイスブック社」が社名を「メタ・プラットフォームズ」に変更した。連日さまざまなメディアでも「メタバース」という言葉が取り上げられ、バズワード的に消費されている一面もあるが、もはやこの言葉を聞かない日はない。岡嶋裕史氏の『メタバースとは何か ネット上の「もう一つの世界」』によれば、「メタバースは、まだ辞書には載っていない言葉だが、辞書的な定義を書けば、「サイバー空間における仮想世界」になるだろう。「サイバー空間」がわかりにくければ、そこを「インターネット」と読み替えてしまってもいいと思う」(岡嶋裕史 『メタバースとは何か ネット上の「もう一つの世界」』p14)ということである。しかしメタバースには種類がある。上記の「メタ」が目指すメタバースとは、VRヘッドセット等を利用した、没入型のメタバースである。一方、「現実世界とデジタルの世界を接続するタイプ」である「接続型のメタバース」があり、その「世界への導入」となっているものの一つが、「ポケモンGO」である(圓田浩二『ポケモンGOの社会学 *—*フィールドワーク×観光×デジタル空間』3p)。この「接続型メタバース」は、日本における科学技術基本計画の第5期でキャッチフレーズとして登場した「Society 5.0」を想起させる。この「Society 5.0」とは、「サイバー空間(仮想空間)とフィジカル空間(現実空間)を高度に融合させたシステムにより、経済発展と社会的課題の解決を両立する、人間中心の社会(Society)」(内閣府 HP https://www8.cao.go.jp/cstp/society5_0/)と定義される。中心技術は、IoT(Internet of Things)や人工知能であり、「フィジカル空間のセンサーからの膨大な情報がサイバー空間に集積」され、「サイバー空間では、このビッグデータを人工知能(AI)が解析し、その解析結果がフィジカル空間の人間に様々な形でフィードバックされ」ていく。 こうした科学技術の発展により生まれた、現実空間と仮想空間の繋がりについては芸術分野においても影響を与える。インターネット空間と現実空間が接続される状況を踏まえ、制作された芸術作品は、「ポスト・インターネット」と称される。ポスト・インターネットという言葉は、2008年にアーティスト・批評家・キュレーターであるマリサ・オルソン(Marisa OLSON)がインタビューの中で使ったことが始まりとされ、美術手帖 2015年 6月号の「特集 ポスト・インターネット」では、「インターネットとリアルがもはや区別されない、シームレスとなった環境を指しています。そして、そこからもう一歩進めて、そのインターネット以後に変容を余儀なくされた私たちの知覚のあり方を示す」と表現される。 アーティストや、芸術作品はよく「炭鉱のカナリア」に喩えられる。作家であるカート・ヴォネガットは、講演会の中で「坑内カナリア芸術論」という自説を展開した。芸術家は社会の変化に敏感であり、それを騒ぎ立て、危険を知らせるとした。勿論、このポスト・インターネットという分野についてもそれは例外ではなく、先述した社会変化に対し、批評的な視座や新たな知覚といった問題を示唆する。 では、この「インターネットとリアル」の境界が融解した「新しい知覚」とは、具体的にどのようなものだろうか。「新しい知覚」は、どのように作品の中に提示され、そこから私たちは来るべき社会に向けて何を読み取ることができるのか。